花冷えのグラスワインにゆれる赤あこがれまたはあきらめとして中村敬子『幸ひ人』
阿蘇の森の中に一つの酒蔵があって、そこの女将さんが大変に上手な西洋画と句集とを遺している。
何という名前の俳人であったのか思い出せないのであるが、山村という苗字以外には知らない。
酒造の主に見せてもらった家族の写真集があった。
そこに、多くの俳人や芸術家に囲まれた90歳前後の女亭主といった具合で、その人が写っていた。
ある種、グラスワインの赤は、その母の偉大さや華やかさの象徴でもあるのであろう。
戦前に生まれた人びとは荘厳なパーティをひらき、酒盛りをして、豪放磊落にふるまうのである。
平成生まれの自分には、何というか、慎ましくて、こじんまりとした生活をしないと、と思ってしまう。
そうしないと、他者から後ろ指をさされるのではないかと、後ろめたい気持ちになってしまうのである。
そういうミニマリズムの生活に浸ってきたせいか、いつの間にか、あの開放的な明るい文化には馴染めない。
大正生まれの人びとに対して、あこがれもあるが、あきらめている自分もいる。
すべてが去った後にも、さくらの花は咲いており、しずかに降り注いでくるのである。
本歌集の、のちに出てくるこの歌が、しずかに響いてくる。
花びらのすべてが「母はいません」とささやいてゐる今年のさくら
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