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説くことのさしてなければ黒板に数式を延ばすペンキのごとく

棚木恒寿『若き豌豆』

四句目に一文字だけ字余りの歌だが、五句目まで伸び切っているかの様な錯覚に出会う。
その内容と一致しており、長々と黒板に数式が、無駄に描かれてゆく様子が思い浮かぶ。
前後の文脈から、定年退職前の教師の歌だろうと思われる。

若いうちは新鮮に感じていた仕事も、同じことが何年と繰り返されるうちに、緊張感がなくなる。
定年前となれば、このくらいで、のらりくらりとしてもよいだろうとなるのだろう。
そうすると、歌もまた若者にありがちな力みや気負いがなくなり、するすると、きもちよく伝わってくる。
これくらいの軽やかさが、大人の余裕さ、という魅力なのだろう。

今年はいろいろなことがあった。
大学無償化法が通り、消費税は上がり、戦略産業論としての自動車減税が達成された。
今は、もう何も説くことはない。
2019/11/06(水) 19:54 一首評 PERMALINK COM(0)
そりゃ俺は三浦春馬じゃないけれどあなたも佐々木希じゃないよ?

長瀬大『短歌ウルフR』(2010年5月6日)


私がインターネットを始めたのは高校2年生の頃。今から12年前の2007年。
そのころは携帯電話が普及しはじめたころで、スマートフォンというものはこの世には無かった。
まだYoutubeを知る人も少なかった。
それで、アップロードされてくる動画も、ドイツ語のものや英語のものしかなく、日本人の動画は皆無だった。
その内容も、いわゆる「有害な情報」であふれていた。
規制も何もなかった時代なので、とくにドイツ人女性やアメリカのアウトサイダー系文学者たちの溜まり場だった。
それも月日がたち始めると、いつのまにかYoutubeには、健全で、ふわふわした、ゆるい世界観が訪れるのだった。

さて、短歌の世界もまた、インターネットの力で、誰しもが自分の歌を発表できることになった。
そうすると、旧かな遣いや文語体の縛りというものが衰え、時代の「規制緩和」という風潮が、短歌の世界にも流れ込んできたのである。

今回は、長瀬大さんの作品。

高校生の頃には、誰が美男子で、誰が美人かを話し合ったことがある。そして、自分もまたイケメンではない部類の側なので、高校では、女子からアゴで使われるというポジションだったのを覚えている。スクールカーストという言葉もあるが、それによれば、私は使用人の立ち位置であった。いま考えると、学生の世界は、理不尽なことが多い。こちらだって幾つか言いたいこともある。だが、そういうのは置いといて、とりあえず、「動けよ」という命令がやってくる。

この歌の良いところは「?」じゃなかろうかと思う。べつにこれを付けなくても、この歌は成立する。
でも、わざわざ「?」をつけるあたりに、自分の置かれたポジションへの自覚があるように私には思われる。
本当は、はっきりと言い返したいのだけど、いろいろな力関係の結果、顔をゆがませながら、最終的に語尾に疑問符を付けて、「うにゃむにゃ」と口ごもりながら、相手に聞こえないくらいの声で、この歌を詠むのだろうなと思う。

sasakinozomi
2019/11/01(金) 16:42 一首評 PERMALINK COM(0)
我が影はぐおんと縦に広がりて降りて来しものすべてに傷つく

廣野翔一『京大短歌十八号』

夕暮れになると、身長の高い青年の影は、縦に大きく広がる。
他人から見た自分は、大卒、高学歴の、頼もしい人に見えるのかもしれない。
そうした背景に対する嫉妬や世の中の風当たりの強さには口篭もってしまう。
たとえどんなに望ましい経歴をたずさえてきたとしても、少しのことで躓けば、そこに物凄いバッシング。
例として挙げるならば、高学歴モンスターと呼ばれて散々に文春砲を受けた政治家たちである。
その裏には、志と、たえまない努力があるのだけれど、ひとは、そうした研鑽の筆跡を見ようとはしない。
どんな政治家であろうとも、本当はやわらかい肉をもつ弱さを帯びた人間である。
もっと人の傷つきやすさに寄り添うような、そういう生き方をしてゆきたいと、私は思う。
2019/11/01(金) 13:35 一首評 PERMALINK COM(0)
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